2000年5月1日。僕はオランダの画家フェルメールの生まれ故郷デルフトDelftから列車でアムステルダムAmsterdam中央駅に向かっていた。そして列車がアムステルダムの1つ手前の駅で停車。その時にアラブ系と思われる数人グループによる巧みな盗難事件に遭遇。不運にも貴重品などが入ったショルダーバッグを奪われた。その時ショルダーバッグに入っていたのはパスポートやクレジットカードや現金。そして航空券とユーレイルパス。さらに買ったばかりのフィルムカメラやビデオカメラなどなど。思わず落胆してしまった。

盗まれて最も困るのはパスポートだ。何たって外国でパスポートは自分自身を証明する唯一の公文書。パスポートがなければ旅は続けられない。僕は盗難直後でかなり落ち込んでいたけれど、元気を奮い起こしデン・ハーグDen Haagにある日本領事館に電話して指示を仰ぐことにした。通常ならパスポートは申請した翌日に再発行される。だけど盗難された今日5月1日の業務はとっくに終了している。僕が領事館に行けるのは明日5月2日だ。
だけど5月3日から日本も在外日本領事館も連休に入ると言われた。ということは連休明けまで業務はストップするので、パスポートの再発行はかなり遅れることになる。そうして領事館の担当者は「連休が明ける5月8日に再発行したパスポートをお渡しできます」と受話器の向こうで事務的に言うだけ。何とこれから6日間も待たなければならない。僕としては忌々しいことがあったアムステルダムからすぐにでも逃げ出しかった。
これから6日間も待足されることが分かって考え込んでしまう。とにかくパスポートがないから原則としてオランダを出ることは許されない。アムステルダムにはもう1分1秒たりといえども滞在したくない。すでにホテルは3連泊の予約をしてある。ということで4日以降パスポート再発行の5月8日まで、僕は本意ではないけど他の街で過ごすことを考えた。

本当はガイドブック『地球の歩き方』を見て次の街を検討したかった。だけど肝心のガイドブックもショルダーバッグの中に入っていたから今は手元にない。全くの無い無い尽くしで最悪な状況。帰りの航空券も紛失している。それも気になってしかたがない。今すぐ東京の旅行代理店に電話して、帰りの航空券はどうなるのか聞きたかったけど時差が7時間ある。日本はまだ夜だ。全く苛立つことばかりでイヤになってしまう。
とにかく今は何もできない。明日の朝早く起きて一心不乱に連絡しまくるしかない。こんな最悪な時は気分をガラリと変えるしかない。ということで以前1997年春に行った和食店の与一に行き、熱燗をたっぷり飲んで元気を取り戻そうと考えた。だけどその前にやらなければならないことが1つあった。それは明日2日の夕方に会って、一緒に夕食を食べる約束をしたオランダ人女性の友人Jクンに連絡することだ。
僕は日本を発つ前、メールでアムステルダムに着いたら電話すると約束していた。だけど彼女の電話番号を書いたメモもショルダーバッグの中に入れたまま。きっと今頃モミクチャにされ道端に捨てられているだろう。とりあえず彼女が以前働いていたホテルの和食レストランへ行って誰かに電話番号を聞いてみようと思った。だけど彼女が働いていたのはもう数年も前になる。もしかしたら今は誰も彼女を憶えていないかもしれない。

といっても今の僕には、それ以外に彼女の電話番号を知る方法が思いつかない。僕はトラムに乗り以前彼女が働いていたというホテルのレストランに向かった。何だか相変わらず気分は晴れないままだ。こんな時に盗んだヤツらに似ているアラブ系の人間の顔を見ると、僕は意味なく身構え異常反応してしまいそうになっている。今は絶対に感情をコントロールする必要がある。そうしないと、もっと危険な目に遭うかもしれない。
僕はいつも以上慎重に行動するよう自分に言い聞かせた。まずはトラムに乗って窓の外に流れるアムステルダムの街風景を見て気を紛らわす。やがてトラムはホテル近くの電停に停車。行ってみると和食レストランはちょうどランチタイムが終わり、スタッフ全員が休憩している時間だった。僕は客でないことを丁寧に告げ、レストランの日本人スタッフに以前ここで働いていたオランダ人女性Jクンのことを聞いてみた。
「あの〜、お忙しいところすいません。以前ここで働いていた僕の友人で、Jという名のオランダ人女性ですが、どなたか彼女の電話番号をご存じないでしょうか…?」
すると幸運にも彼女の電話番号を知っている人がいた。僕は早速ホテルのクロークでテレフォンカードを買い彼女に電話してみた。

電話は通じたけどあいにく留守電だった。ということで僕は現在自分が泊まっているホテルに電話してほしいとメッセージを日本語で残し電話を切った。こんな時に日本語ができる現地の友人がいることはとっても助かる。彼女はライデン大学で日本語を勉強し、卒業した後しばらく日本で働いていたことがある。だから日本語が堪能なのだ。僕たちの出会いは彼女が日本にいる時で、下北沢の居酒屋に常連の連れとして来店した時からだ。
何にしてもJクンの連絡先が分かったので安心してホテルに戻った。そして明日2日の朝からやることと、連絡すべき場所を紙に書いて整理する。そうやって準備を整えていくと次第に気分も落ち着いてきた。そうこうする内に夕食時間となった。できれば以前行ったことのある居酒屋の与一へ行きたいと思ったけど場所はうろ覚え。たどり着けるかどうか自信がない。肝心のガイドブックがないから場所も電話番号も分からない。
泊まっているホテルのスタッフに聞いてみたけど与一は知らないと言う。困った。場所が分からない。ホテルを出てどうしようか考えながら歩いていると、運よく日本人観光客の女の子2人が向こうからやって来た。僕は事情を説明し彼女たちのガイドブックを見せてもらう。思った通りガイドブックに与一の電話番号と場所が載っていた。電話番号と場所が分かったので一旦部屋へ戻り、ホテルでもらった地図でおおまかに場所を確認。これで大丈夫だ。

ちょっと道を間違えたけど何とか与一にたどり着いた。そして美味しい熱燗と和食で荒んでいた心も安らかになる。貴重品のほとんどを失って落ち込んでいたけど、実は不幸中の幸いというか、僕は予備のクレジットカードを大きなリュックの底に隠しておいた。とりあえずこれが1枚あっただけでも本当に助かる。盗まれたVISAカードも運よく、直後にアムステルダム中央駅の警察から電話して即刻使用不可にすることができた。神は僕を見捨てない。
夕食から戻りホテルの部屋で冷静になって考えた。今泊まっているアムステルダムのホテルは明後日3日までの予約。問題はその後5月4日からパスポートが再発行される8日まで。真剣にイロイロ考えている時に、以前テレビで見た『うさぎのミッフィー』の作者ディック・ブルーナさんの住む街がユトレヒトUtrechtだったことを思い出す。そうだ、こうなったらユトレヒトがいい…!こうして僕のユトレヒト行きが決まったのだ。
パスポートが再発行される5月8日は早めに日本領事館に行きたい。ということで4日から6日まではユトレヒトに3連泊。翌7日は領事館のあるデン・ハーグに1泊するのがベスト。そうして盗難があった翌日5月2日、午前中早めに領事館に行った後、僕はすぐアムステルダムに戻って旅行代理店でホテルを予約した。その後カメラショップを探し、ローライフレックスのコンパクトカメラを購入。カメラだけでもあれば精神的には復活できると思ったのだ。

といっても予想外の無駄遣いになったことは事実。何だかとても口惜しい気がする。気合を入れて買った新品カメラのパッケージを開けるとマニュアルが入っていた。当然だけど日本語の解説文はない。入っていたのはオランダ語とフランス語とドイツ語とイタリア語とスペイン語の4カ国語だけ。肝心の英語のマニュアルがないのにはちょっと驚いた。とはいえマニュアルが完全に読めなくてもカメラは何とか操作できる。ということでカメラを手にしてファインダーを覗く。フィルムを入れずに何度かシャッターを押す。その瞬間に今まで起こったイヤなことは全て忘れた。何とも気分転換の素早いB型人間だと思う。
翌日の夕方は約束通りJクンと数年ぶりに会って一緒に食事をした。久々に日本語が話せて僕の気分も落ち着く。そして5月4日いよいよアムステルダムからユトレヒトへ移動。中央駅到着後インターナショナルと書かれた切符売り場を覗く。実は日本領事館でパスポート再発行の手続きをした時に、係の女性領事館スタッフから「ユーレイルパスはユトレヒトの駅で買えるかもしれないわよ…!」と教えてもらっていたのだ。僕はそれを確かめようと思い、窓口カウンターの女性に問い合わせてみた。すると「パスポートさえあればいつでもレイルパスは買えますよ…!」と言われ、思わず声を出して大袈裟に喜んでしまった。

ユーレイルパスがいつでも買えることが分かって元気が出てきた。確かユーレイルパスは紛失しても再発行はできないとガイドブックに書いてあった。だけど現地ヨーロッパでレイルパスが買えることについては書いてなかったと思う。もしも買えることが分かっていたら、僕はこんなに落ち込まなくてもよかったはず。何はともあれ今の僕は敗者復活戦の出場者みたいなもので、何よりもしぶとく必死に勝ち抜かなければならないのだ。
予約したユトレヒトのホテルは中央駅のすぐ近くだった。アムステルダムの日本語が通じる旅行代理店に予約を頼んだからちょっと割高。自分で歩いて探せばよかったけど、何たって身分証明書となるパスポートも頼みの綱のガイドブックも手元にない。それに気落ちしてホテルを探す元気もなかった。ホテルは旧市街とは反対側なのでちょっと不便。旧市街へ行く時はいちいち中央駅の中を抜けて行かなければならないのが面倒だった。
ホテルにチェックインした後、中央駅を抜けユトレヒト大学のある旧市街方面へ向かう。しばらく歩くと街の中心を流れる運河にぶつかった。運河周辺は木立に覆われひっそりと静か。何とも雰囲気があって落ち着く。運河脇の道路から階段を下りた水辺にカフェがテーブルを出している。何とも涼やかで居心地がよさそうな感じだ。アムステルダムでも運河周辺の風景は見ていたけどユトレヒトではまたちょっと違う感じがする。

運河脇の道路に黄色い看板が見える。何だろう…?そう思って近づいた。すると看板には下方を指す真っ赤な矢印の脇に「coffeeshop No Name?」と書かれている。たぶんこの下にコーヒーショップがあるってことだ。コーヒーショップと言っても日本のように真面目に珈琲豆を商っている店じゃない。オランダの「Coffeeshop」は合法的にマリファナなどソフトドラッグを扱っている店なのだ。普通の喫茶店は「Koffiehuis」と表記されるらしい。
確かにコーヒーショップの前を通ると、何だかマリファナ独特のヨモギの葉っぱを燃やしたような匂いがした。外国で日本人が迂闊にマリファナなどの薬物に手を出すのは違法。日本の法律に触れるらしい。といってどこかで日本の警察がいつも見張っているわけじゃない。だから捕まることはないのだ。観光でオランダにやって来てマリファナを吸っている観光客は、日本人に限らず決して少なくはないはずだと僕は思っている。
街をブラブラして面白い風景に出会った。ある洋品店の楕円形の看板が白と黒の猫だった。そして猫の看板の下に、何と真っ白なウエストハイランド・ホワイトテリアのような犬が僕の方をジッと見ていた。看板の白黒ブチ猫と本物の真っ白い犬。その対比が何となく面白いので写真を1枚パチリと撮った。こんなどうでもいいことでも僕は幸せになってしまう。ここ数日間イロイロ嫌なことがあったからこそ、ニャンコとワンコに癒されてしまうのかもしれない。

ユトレヒト初日の夕食は駅ビルに入っている鉄板焼き店にした。働いている女性スタッフはほとんどがフィリピン人。全員が和服っぽい制服を着ていた。だけどその制服の丈が妙に短くてツンツルテンの浴衣のように見える。帯はマジックテープで簡単に止められる作り。その帯も異常に胸高に締めているせいで、日頃から着物を見慣れている日本人の僕にとっては、何だかアニメとか漫画の「バカボン」のように見えてしまう。
鉄板焼きコーナーの男性コックも妙だ。眼鏡をかけた若い中国人の男は、野菜や肉をドンドン焼いて出来上がるたびに笑顔で「召し上がれ〜!」と変なイントネーションで言う。不思議な日本語の響きはくすぐったく僕は妙に落ち着かなかった。こんな変な日本語を誰が教えたのだろう。こういう時は「どうぞ温かい内にお召し上がりください…!」とか何とか言った方がいいのだ。妙な制服と日本語が気になって、結局僕は2度とその店に行くことはなかった。
翌日の夕食はまたまた「今日は」という妙な名前の和食レストランに行き、何となく雰囲気のいい店だったので残りの2日間も通い詰めた。寿司カウンターの板前は香港出身の陳さんという40代くらいの人。何となくウマが合うので陳さんと英語でイロイロ話をした。彼は寿司の技術を東京で学んだという。陳さんも以前アムステルダムのトラムで、アラブ系っぽい数人グループに囲まれ財布を盗まれたことがあると言った。東洋人は狙われやすいのだ。

パスポート再発行前日の5月7日、僕はユトレヒトから日本領事館のあるデン・ハーグに移動した。この街は前回1997年春にも偶然訪れている。あの時はオランダ到着直後。ライデン駅のツーリスト・インフォメーションでホテルを探してもらったけど、観光シーズン真っ只中でホテルはどこもフルブッキング。結局イロイロ探して最後に見つかったのが、デン・ハーグが最寄り駅となる海のそばに建つアトランティック・ホテルだった。
その時はデン・ハーグ駅で列車を降りてTAXIでホテルに向かっただけ。だから街を散策したってわけじゃない。明日は待ち望んでいたパスポート再発行の日。予約した駅そばのホテルと同じビルに和食レストランがあり、夕食時に板前さんから恐ろしい話を聞いた。彼は以前クルマを路上駐車し、30分ほどで戻ってくるとタイヤ、ホイール、カーステレオを一瞬で盗まれたと言った。犯人はアラブ系のグループらしい。全く油断も隙もあったものじゃない。
明けて5月8日午前11時。再発行されたパスポートを手に入れ、すぐに列車でユトレヒト中央駅に戻る。そして新しいユーレイル・グローバルパスを買い求め、ドイツのケルン行き国際列車に飛び乗って忌々しいオランダを後にした。列車が国境を越えてドイツに入った途端、僕は不思議に気分が少しずつほぐれていくのが分かった。今まで何度もドイツを旅してきたせいだと思う。ドイツに入ったら一瞬にして緊張感が解け自然と心が和らいだのだ。

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