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1990年から旅したヨーロッパのイロイロな街と20世紀末の下北沢を、写真と文章で紹介していきたいと思います。


by KaZoo

「2019California Episode 02:旅立ちの日、土砂降りの中、僕は家を出たのだ…!」

5月20日(月)旅立ち当日の天気はあいにくの雨天。それもかなり大荒れ。首都圏の公共交通機関に影響が出るほどだった。何てこったい…?久々の旅立ちだというのに。これも日頃の行いのせいなのか…?僕はよほど神に見放されているようだ。それもそのはず、どっちかと言うと無神論者なのだから、天気の神様だってイイ顔してくれるはずもない。

旅立ちの数週間前から、現地サン・フランシスコの天候と気温は調べていた。着るモノは何を持っていくか…?サン・フランシスコは東京よりも曇りの日が多く、気温も想像以上に低い日が続いていた。5月中旬でも日中の最高気温は20℃前後。朝晩の最低気温は10℃近くまで下がる。

ということで、今まで何度も旅に着ていったノース・フェィスのゴア・テックス製ジャケット、ポケットが便利な同じくノース・フェィスのインナー用ベストを持っていくことにした。そしてデイパックもノース・フェィス。すべて10年以上前に買ったものでカラーはっ真っ黒。だからって別に、ノース・フェィスに義理がある訳じゃない。

窓の外から忌々しい雨音が聞こえる。カーテンを開けた。地面を機銃照射するような雨脚。ひでぇ〜!一瞬にして気が萎える。こんな激烈な雨の中を、僕はリュックを引きずりながら歩かなければならない。こんな横殴りでは絶対ビッショビッショに濡れる。家からバス停の間、そしてバス・ターミナルから最寄り駅の相鉄線・鶴ヶ峰駅の間。覚悟をしておいたほうがよさそうだ。

余裕を持って早めに家を出た。横殴りの雨は、傘をさしてノロノロ歩く間抜けな人間をせせら笑い、雨粒を叩き続けてくる。僕はビショ濡れになりながら歩いた。リュックやデイパックは専用カバーをかけたから大丈夫だけど、下半身のジーンズの方はほとんど濡れ鼠。ヤバい…!一番気になるのは、濡れたままで体温を奪われること。飛行機に乗る前に風邪などひくわけにはいかない。

横浜行き列車に乗り込んで、すぐにリュックとデイパックのカバーを外した。悪天候だってのに、車内の空調がムダにききすぎている。濡れたジーンズから、どんどん体温が奪われいく。全く、何だかなぁ…?横浜でJR駅構内にあるカフェに入った。まずはコーヒーを飲んで体を中から温める。ノース・フェイスのジャケットを濡れたジーンズに覆い被せる。足下が徐々に温まってきた。身体ヌックリdeホッと一安心。

離陸は悪天候のため50分近くの遅れ。だけど現地時間5月21日午前11時前に、何とかサン・フランシスコ国際空港に無事到着。日本を発ったのが同日午後5時頃だったから、何となく半日分得した気分。と言っても日本に帰ってくる時、時間は帳尻が合わせられるから本当は得も損もない。

さぁ、面倒くさい入国審査だ。と言って、別に後ろ暗いことがあるわけじゃない。ESTA(電子渡航認証システム)はPCを操作して事前に取った。これは航空機でアメリカ合衆国へ入国・通過する者に対し、米国出入国カードをアメリカ合衆国への渡航前に、インターネットのウェブサイトで電子申請することを義務付けたもの。1975年当時は当然だけど、こんな面倒くさいものはなかった。

ESTAがあるから入国は簡単かと思ったけど、そうでもない。E—チケットと似たような機械が僕を待っていた。まずは他人のやり方を見て覚える。パスポートを読み取り機にかざして操作。指紋などを採取したらOKのようだ。何だか分からないまま入国カウンターに向かう。

パスポートを提出。係官に顔を見比べられた後、再び指紋を採取させられる。ひょっとしたら、さっきのやり方が間違っていたのかもしれない。顔写真も撮られる。そんなこんなで入国審査もパス。後は預けたリュックを持って、目的地バークレー行き地下鉄BARTに乗るだけ。ただ、そのティケットの買い方に若干の不安があった。

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出国ゲートからBART乗り場に向かう。あらかじめガイドブックの空港案内で調べ、BART乗り場が出国ゲートから近いことは分かっている。表示に従って歩く。ちょっと遠かったけど、何とかBART乗り場にたどり着いた。さぁ、これからが正念場。大げさに言うほどのことでもない。普通の地下鉄に、普通に切符を買って、普通に乗るだけのことなのだ。でも、意味なく気合いが入っている。

乗車料金はPCで検索して調べてある。サン・フランシスコ国際空港から目的地バークレーまでは$10.03。券売機「BART TICKETS」の前に立つ。当然だけど、PCの画面で見たのと同じだ。右手上部に、行き先別の乗車料金がアルファベット順に表記されている。再確認のため、目的地「Downtown Berkeley」を見る。「10.03」の数字が見えた。OKだ。

行き先別乗車料金表示の下に、紙幣挿入口が今か今かと僕のドル札を待っている。料金は中央画面左側のボタン、例えば料金を増やしたい時は「Add」のボタンで、もしも減らしたいなら「Substract」のボタンを押して増減する方式。これがやたら面倒で、難儀する人が多いとPCから情報を得ていた。

ティケットの料金をピッタリにする必要はない。多少多めに払って、余った分はまた足して使えばいいのだ。BARTに乗るのは今日と3日後、バークレーからサン・フランシスコのダウンタウンへ移動する時。そして帰国する26日、ダウンタウンからサン・フランシスコ国際空港まで行く時だけしかない。

いちいち何度もボタン操作するのも面倒。どうせティケットはまた使うのだ。20ドル札を機械に挿入。そして画面に「Print 20」と表示が出ている左側のボタンを押した。これでOK20ドル分のティケットがゲット。何だ、案ずるよりオノヤスシだ…!と不適に笑う。小さく今日の日付と$20が印字されたチケットを手に改札口へ向かった。

ティケットを自動改札機に入れる。閉じていたバーが開く。プラットフォームにはすでに列車が停車していた。僕が乗る路線は「Pittsburg/Bay Point-SFO線」で、サン・フランシスコ湾の地下トンネルを走ってオークランドに入る。それから「MacArthur」駅で「Richmond」行きに乗り変えるだけ。目的地「Downtown Berkeley」駅は、そこからたった2駅。

僕はできるだけ真ん中に近い車両に乗り混んだ。そして、目つきや挙動の怪しそうなヤツのいない、でも周適度に乗客のいる席を探して座った。これで一安心。座った席はドアから近く、大きな路線図が見える。さりげなく乗換駅を確認できるよう、最適な席が選択できたってわけだ。後は長旅の疲れから、居眠りなどしないよう注意するだけ。近頃は電車に乗ると、すぐに眠たくなるから要注意。

列車が走り出した。車両は古く窓がくすんでいる。車窓風景がクッキリ見られないのが残念。30分ほど走ると、ダウンタウン中心部の「Powell St.」駅に到着。3日後に宿泊するホテルはこの駅の近く。その後2駅通過して、列車はいよいよサン・フランシスコ湾の海底トンネルに入る。

空港からクルマでバークレーに向かうなら、映画『卒業』でダスティン・ホフマンが真っ赤なオープン・カーを運転して渡ったベイ・ブリッジで湾を越えることになる。思い出した。1960年代にヒットしたオーティス・レディングの『ドック・オブ・ザ・ベイ』という曲。あの歌の中に、確かサン・フランシスコ湾という言葉が出てくる。

「♪I left my home in Georgia Headed for the ‘Frisco Bay〜♬」

オイラはサン・フランシスコ湾の波止場に座って、波が押し寄せては去っていくのを、何もすることなくただ眺めている。故郷のジョージアから、サン・フランシスコ湾を目指して出てきたのはいいけれど…って感じだったかな。ということはあの歌、サン・フランシスコ在住ではなく、黒人の人口比率が多いオークランドにやって来た男の気持ちを歌った曲かもしれない、などとどうでもいいことを考えてしまう。

そうこうする内、列車は地上に出た。すぐに「West Oakland」駅に停車。この3つ先が乗換駅の「MacArthur」だ。心の準備はOK。当然居眠りなんて出やしない。結構緊張してる。そして「12th St./Oakland City Center」駅、さらに「19th St./Oakland」駅に停車。ここで気づいた。2つ駅の隣のプラットフォームには、さっきから「Richmond」行きが平行して走っている。焦ってはいけない。乗り換えは当初の予定通り「MacArthur」駅と決めている。

乗り換えて2駅目がバークレー。ちょっと興奮してきた。ここへ来るまで44年かかった。と言うと、実は嘘になる。1980年代初頭、僕は短時間だったけどバークレーを訪れている。1975年に友達になった日系人ボブ・カクの家に泊めてもらい、その時バークレーに日帰りしている。とはいえ日帰り。たった数時間のこと。ほとんど記憶に残っていないと言ってもいい。



by 1950-2012 | 2019-06-24 17:36 | ヨーロッパ 旅 紀行 | Comments(0)