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1990年から旅したヨーロッパのイロイロな街と20世紀末の下北沢を、写真と文章で紹介していきたいと思います。


by KaZoo

「2019California Episode 12:え、Tony Bennett Wayって、あのトニー・ベネット…?!」

ヘイト・アシュベリー巡礼も無事に終え、ホテルのあるダウンタウン中心部に戻った。ホテルに直行で帰るのも何だかつまらない。ということでケーブル・カーが走るPowell St.沿いに坂道を上がって、以前「California St.」の道路標識の写真を撮った辺りまで行ってみようと考えた。本当はミュニパスポートを持ってるから、ケーブル・カーだってタダで乗れる。だけど、乗り場には相変わらず観光客の長蛇の列。ダメだ…!僕は歩くことにした。

そうそう1980年代初頭、記憶は曖昧だけど、サン・フランシスコを日帰りで訪れた時にも、確かCalifornia St.まで歩いて、そこからフィッシャマンズ・ワーフまでケーブル・カーで行ったような記憶がある。あの時は僕1人だったのか、日系人の友だちボブが一緒だったのか思い出せない。その後、フィッシャマンズ・ワーフではカニを食べたはず。カニは溶かしバターと一緒に出てきたけど、僕はビネガーを頼んで食べたおぼろげな記憶が残っている。

坂道を上る途中、サー・フランシス・ドレーク・ホテルの前を通った。このホテルも懐かしい。1974年に僕が辞めた某TV局系のCM制作会社の上司であり、宣伝会議コピーライター養成講座の先生であったK氏が、サン・フランシスコを訪れた時に宿泊したのは、このサー・フランシス・ドレーク・ホテルだった。

当時のサー・フランシス・ドレークは高級ホテルだと思ったけど、今回使用しているガイドブック『地球の歩き方』では、なぜか中級ホテル扱いになっている。時は流れたってことか…?1975年当時、ほぼ金欠で生活苦だった僕は、この時とばかりK氏に美味しいものをご馳走になったものだ。

サー・フランシス・ドレーク・ホテルからCalifornia St.までまだ距離がある。坂道は見た目よりも勾配がきつく、僕の呼吸は乱れ始めていた。ゼイゼイゼイ、参った、ハァハァハァ、キツイな、何だ坂・こんな坂、ゼイゼイ、ハァハァ…!こんなにも体力が落ちていたのか…?ふくらはぎもパンパンに張っている。無理はすまい。とにかくジックリ&ユックリ登っていこう。

額から汗がジワジワ噴き出した。心臓はバクバクしている。そんなこんなで、とりあえず目的のCalifornia St.に到達。登ってきたPowell St.を振り返る。思ってたよりも急坂だった。さぁ、昔撮った道路標識をもう一度撮ろう!と思ったけど、道路標識は薄汚れて「California St.」の文字がクッキリ読めない。残念…!写真は諦めるしかない。いや待て、道路標識は何もここだけではない。California St.はずうっと続いているはずだ。先に行けば、きっと絵になるキレイな道路標識だってあるはずだ。

ということで、僕はCalifornia St.に沿って歩き出した。実はこの通りにも、サン・フランシスコ名物のケーブル・カーが走っている。こっちの路線はチャイナ・タウンからVan Ness Ave.まで行く「カリフォルニア線」。この他にケーブル・カーは「パウエル〜ハイド線」と「パウエル〜メイソン線」の2つの路線がある。どちらも今さっき登ってきたPowell St.Market St.寄りの乗り場から出てるし、終点は数ブロック離れているとはいえ、人気の観光地フィッシャマンズ・ワーフの方。

なぜかこっちのカリフォルニア線は、「パウエル〜ハイド線」や「パウエル〜メイソン線」よりも混んでない。とりあえずケーブル・カーに乗りたいだけなら、簡単に乗れるこっちの路線を選んだ方が得策だ。

California St.Mason St.が交差する地点にたどり着いた。この辺は高台で眺めがいいから、高級ホテルが集まっている。「California St.」、「Mason St.」2つの他に、「Tony Bennett Way」という標識があった。えっ、トニー・ベネット…?イタリア系移民の超有名ボーカリストだ。彼の代表作は、誰もが知っているあの『霧のサン・フランシスコ』(I Left My Heart in San Francisco)。

あの名曲『霧のサン・フランシスコ』は、1954年に作られたものの全くヒットせず埋もれていた。それを1962年、トニー・ベネットが歌ったらミリオン・セラーに。歌詞の「私の心は常にサン・フランシスコにある」というフレーズは、この地を訪れ、去る時に深く重く美しく人々の心に響き渡る。実は僕が最初この地を訪れた1975年、帰りの飛行機でこの曲を流されたので強く印象に残っている。現在この曲は、サン・フランシスコ市歌に選定されているという。

トニー・ベネットは2006年に、生誕80年を記念したアルバム『Duets/An American Classic』をリリース。それは、まさに珠玉のデュエット集。バーバラ・ストライサンド、ジョージ・マイケル、ビリー・ジョエル、スティービー・ワンダー、セリーヌ・ディオン、スティング、エルヴィス・コステロなど、幅広いジャンルの数多くの有名ミュージシャンと共演している。実は僕も持っているオススメのCD

Tony Bennett Way」が誕生したのは2018年6月2日だった。何と、1年前のこと。なるほど、やるね、サン・フランシスコ市当局…!トニーの名曲『霧のサン・フランシスコ』をトリビュートして、わざわざ彼の名を冠した道を作ったのか。スゴいな〜、素晴らしいな〜、サン・フランシスコ万歳〜!!

フェアモント・ホテルの前庭にトニー・ベネットの銅像があった。これはトニー90歳の誕生日にできたものらしい。なお、フェアモント・ホテルには「Diplomat Tony Bennett Suite Living Room」という超豪華なスイート・ルームがあるという。金が余っていたら、ぜひとも泊まってみたい。きっとゴールデン・ゲート・ブリッジなんかよく見える、超超・眺めのいい部屋なんだろう…!

ガイドブック『地球の歩き方』で、フェアモント・ホテルは高級ホテル扱いになっていた。紹介文は『サンフランシスコを代表するホテル 多くの著名人が宿泊してきた由緒あるホテル。客室からはサンフランシスコの街並みやゴールデンゲート・ブリッジの眺めが楽しめる。駐車場1泊$52』。なるほど。それにしても1泊とはいえ、52ドルの駐車料金は高すぎる…!

ちなみに今回、僕が泊まっているヒルトン・ホテルはというと、ガイドブックではこっちも高級ホテル扱いになっている。紹介文は『食後はプールでひと泳ぎ!ユニオンスクエアから南西に2ブロックの所にある。1階にあるアメリカ料理店Urban Tavernも好評。駐車場1泊$63』。おぉ、駐車料金ではフェアモント・ホテルに勝ってる…!

このままCalifornia St.を歩いて行ってもキリがない。ということでMason St.をヒルトン・ホテルのある方に下って行くことにした。それにしてもすごい下りの坂道。駐車しているクルマはサイドブレーキが緩いと、そのまま坂道を転げ落ちてしまう。ホテルに近づくということは、例の治安の危険情報がたくさん出ている「テンダーロイン地区」に接近するということだ。思わずキリリと顔が引き締まる。

テンダーロイン地区が近づく。何となく怪しげなヤツが時々見え隠れする。ホームレスっぽいヤツも、所々道端に寝転がっていたりする。カメラを見せないよう、ノース・フェイスのインナー用ベストの内ポケットに入れて歩く。ノホホンと写真を撮っていたら、時には難癖をつけてくるヤツもいるから要注意。まだサン・フランシスコ滞在初日。写真を撮るのは、もう少しイロイロ分かってからでも遅くはない。

夕食はホテル近くの「堂島庵」という和食店に行こうと決めていた。うどんがあるのが嬉しい。最初は昼飯と思っていたけど、ホテルにチェック・インしたらもう頭の中は「ヘイト・アシュベリー」一色。そしてヘイト・アシュベリーで、なぜだか寿司屋に入って熱燗とギョーザで軽くランチしてしまった。

結局カリフォルニア到着当日、対岸の大学町バークレーでジャイアント・バーガーを頬張って以来、僕はカタカナ文字の食べ物は何ひとつ食べてない。そしてサン・フランシスコ初日の夜も、熱燗と枝豆とうどんで軽めに夕食を済ませてしまう。僕のように食に興味が薄い人間とは、決して一緒に旅をしない方がいいってことかもしれない。

後は部屋に戻って時間をつぶすだけ。ホテルはテンダーロインに近いから、酔っぱらって遅い時間までウロウロしていたら、危険なヤツらに絡まれて不快な思いをしないとも限らない。危ない、危ない。飲み足りない分は、成田で買ったスコッチがまだ残ってるから、水割りでもチビチビ飲んで済まそうと思う。何か地味だけど、まぁ、いいか…!何たって酒よりも、命の方が大切だからね。



by 1950-2012 | 2019-08-04 08:08 | ヨーロッパ 旅 紀行 | Comments(0)