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1990年から旅したヨーロッパのイロイロな街と20世紀末の下北沢を、写真と文章で紹介していきたいと思います。


by KaZoo

374「ドナウ下り再び。9月1日だというのに気温は20度を割った。寒ぶ〜っ…!」オーストリア、メルク

2001年の旅は友人NNクンとの2人旅。フランス「花の都」パリからスタートして、オーストリア「音楽の都」ウィーンでゴール。その間はユーレイルパスを利用し鉄道で移動。行きはパリで帰りはウィーン。何ともオシャレな旅みたいだけど、実態は毎日列車の移動とホテルが変わるという慌ただしさ。僕は気短かで飽きっぽくてフーテンだから、そんな忙しい旅でも結構楽しめるけど、同行者のNNクンは毎日落ち着かなくて大変だったと思う。

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旅も最終ウィーン3連泊2日目の9月1日。朝から曇天で今にも空が泣き出しそうな感じだった。当然こっちの気分も落ち込んでくる。窓を開けると気温も想像以上に低い。何て言ったらいいか「少し肌寒い」ではなく「マジで寒い」という感じだったのだ。8月中旬「花の都」パリから旅を始めた数日間はうだるような暑さだった。毎日が気温32度前後の真夏日で、僕たちはTシャツ1枚で汗ばかりかいていた。

それが「音楽の都」ウィーンに入った途端、お天道様は何だかズ〜ッと不機嫌でスカッと晴れることがなくなった。テレビの天気予報も今日は最高気温18℃と放送している。ついに気温は20℃を割るのだ。確かにもう9月。カレンダー上では秋に入った。だけどまだたった1日目じゃないか。涼しくなるにはあまりにも早過ぎる。夏服しか用意していないない旅人は、季節外れの低気温に風邪などひかないよう注意しなければならない。

今日はドナウ下りをする予定。遊覧船上は風が吹き抜けるので、寒がりの僕は寒さを考えセーターとナイロン・ジャンパーをデイパックに入れた。旅先では何事にも用意周到が大切。温かければ着なけりゃいいだけ。でも、急に寒くなったら困ってしまう。たったセーター1枚とナイロン・ジャンパー1枚。かさばるわけじゃない。持っていたって損はない。旅先では神経質かもしれないけど、僕は必要以上にイロイロ最悪事態を考えてしまうのだ。

ウィーン西駅から列車に乗って、ドナウ下りの遊覧船が出るメルクに向かう。実はドナウ下りもこの時で2度目。勝手は分かっている。前回は1993年5月上旬。その日は目が開けられないほどメチャクチャ日差しが強かった。紫外線注意報が出そうなぐらい天晴れな日だった。それが今回は、雨さえ降らなければ御の字という怪しい空模様。誰であれ御天道様である太陽の心模様「天気」には敵わない。こっちが「天気」に合わせるしかないのだ。

メルク駅で列車を降りると、別の車両からドでかいスーツケースを持った日本人カップルも降りてきた。ほとんど地面に近いプラットフォームと列車乗降口の間には、日本では考えられない若干の幅とかなりの段差がある。だから日本とは違って、重たいスーツケースなどを持って列車を乗り降りするのはかなり苦労を要する。せっかくの旅だからイロイロ荷物も増えてしまうのだろうけど、荷物をもっとコンパクトにして移動を楽にすればと、余計なお世話かもしれないけど僕はお節介に考えてしまう。

ヨーロッパの駅では多くの場合、列車に乗り込む時プラットフォームから列車の乗降階段を3段ほど上がらなければ列車に乗り込めない。体力に自信がない女性は大きなスーツケースを持って乗り込むのは大変だと思う。女性と老人と子供に優しいヨーロッパと言っても、いつも必ず優しい男たちがそばにいて助けてくれるとは限らない。さらにヨーロッパの街の道路は石畳みが多い。小さなキャスター付きのスーツケースだと、石と石の間の溝にはまりやすくなかなか思うように動いてくれないことも多い。

たぶん初めてヨーロッパを旅行する人は、きっとイロイロ着替えてオシャレをしたいから荷物も多くなってしまうのだろう。ツアーだったらそれも大丈夫だと思うけど、個人旅行では自分の体力を考えないと大変な目に遭う。例えばよほど格式のあるレストランとかパーティでもなければ、スーツなどフォーマルな服装なんてほとんど必要ない。僕はそう思っている。ジーンズとTシャツとジャンパーでほとんどの場所はOKだ。実際に多くのヨーロッパ人はほとんどいつもジーンズなどカジュアルな服装だ。とはいえカジノとか特別なパーティでは、当然フォーマルなジャケットとかドレス着用が求められるのも事実。

メルクで列車を降りた僕たちは駅を出てドナウ下りが出る船着き場へ向かった。実は1993年春のドナウ下り前日、僕は音響効果の達人MMサンとこの街のホテルに1泊している。だから地図など見なくても大丈夫なのだ。駅からドナウ下りの遊覧船が出る乗船場は歩いて20分ぐらい。途中にこの街のメイン・ストリートがある。僕たちは簡単なサンドイッチを買うためメイン・ストリートでパン屋を探した。

今日は朝早く行動するため朝飯抜きでホテルを出た。だからメルク駅に着いた時はちょっと腹が減っていた。パンを手に入れて準備万端。気合を入れて乗船場に向かう。だけど出航には1時間半も早かった。僕はせっかちに行動するから時間が余ってしまうことが多い。遅れるよりはいいと思うけど、それにしてもちょっと時間が余りすぎた。乗船チケット売り場はまだ閉まっている。

メルクには「バロックの宝石」と謳われる世界遺産のメルク修道院がある。修道院はちょうど乗船場を見下ろす大きな岩山の上。何だか下々を見下ろすように居丈高な感じで聳え建っている。下から見上げると堅固な城塞のようにも見える。久々に壮麗な修道院の姿を見て大いに感動。時間があれば世界遺産のメルク修道院を見てみたいけど、そんなにタップリと暇があるわけでもない。ただひたすら静かに乗船チケット売り場が開くのを待つしかない。

だけど落ち着きのない僕は耐えられなくなってしまい、時間潰しのため周辺をダラダラと歩き始めた。この辺も以前歩いているからよく分かっている。ドナウ河支流の岸辺では釣りをしているオジサンがいた。どんな魚が釣れるのだろうか…?ちょっと気になる。そんなこんなで1時間近くが経った。チケット売り場に戻るとでっぷり太ったオバさんが現れた。僕たちもチケットを買う人たちの列に急いで並んだ。チケットを買ってからみんな行儀よく乗船ゲートの前で待つ。前回1993年はユーレイル・パスを持っていたらドナウ下りも無料だったけど、今回は割引だけになっている。

乗船ゲートで待っていると、自転車に乗ったオジサンとオバサンのやたらと賑やかな集団がやって来た。どの自転車のフレームにも「DONAU TOURISTIK」と書かれている。きっとドナウ河沿いを自転車でのんびり下ろうというツアーの人たちだ。彼らは健康的で見栄を張らずに無駄遣いもしない。人生を大いに無理なく楽しく生きている。こういう素晴らしい大人がいる国で育つ子供たちは羨ましい。だけどそんな素晴らしい人たちが食べる料理の味とか量となると、これはまた別の話になる。

やっと乗船ゲートが開いた。僕たちもみんなの後に続いて船内に入り、階段を昇って最上階の空いているデッキの椅子に腰掛けた。眺めがいいので大満足。乗船場は支流にあるから本流のドナウ河は向こうにちょっと見えるだけだ。デッキのスピーカーからアナウンスが流れる。まずはドイツ語。続けて英語、フランス語、イタリア語、スペイン語。そして最後に日本語。以前乗った時に日本語のアナウンスはなかった。これはとっても嬉しい。

日本語アナウンスはとても嬉しいのだけれど、説明は一番最後になって若干のタイムラグができてしまう。だからアナウンスがある頃には城とかイロイロな名所がはるか船の後方に去っている。それでも母国語のアナウンスがあるのはアジアの国では日本だけ。何となく誇らしいような、嬉しいような気分。船が動き出すと予想外にデッキの上も風が強くなってきた。僕は早速用意していたセーターとナイロン・ジャンパーを着込んだ。NNクンを見ると半袖のポロシャツと、数日前にインスブルックで買ったノースフェイスのナイロン・ジャンパーだけ。何だか寒そうにしている。

「寒くない、大丈夫…?」

「うん、大丈夫…!」

NNクンは小さく答えたけど少し震えているようにも見えた。あまりにもシリアスな顔をしている。こんな所で旅の同行者に風邪をひかれても困る。

僕たちはすぐに1段下の後部デッキに移動した。眺めはちょっと悪いけど、そこなら少しは風を遮ることができる。しばらくすると雨がパラパラ落ちてきた。やばい〜!ということでついに船の中に退散。船内のレストランはテーブルがズラ〜ッとセットされ、ドナウの岸辺風景を見ながら食事ができる。これはまさに絶景レストラン。さらにもう1階下のフロアも同じようなレストランになっている。天気のいい日には船上のデッキも船内のレストランもすぐに満席になってしまうだろう。

船の乗降口のあるフロアは自転車などの置場にもなっている。自転車でドナウ下りをする多くの人々のために、駐輪できる設備が用意されているのが何とも素晴らしい。乗降口には途中で乗ってくる人たちのためのチケット売り場もある。さらにさらにもっと下の船底には、ビール好きにとって大切なトイレがある。せっかくだから僕たちは舳先に近いテーブルに座って、地元産の白ワインを飲もうと考えた。

ドナウ下りの途中で遊覧船は何ヶ所かの乗船場に停船する。そんなに多くはないけど途中から乗ってくる人もいるし、自転車を転がしながら降りていく人もいる。みんなそれぞれにドナウ下りを楽しんでいるようで素晴らしい。船が停まったシュピッツSpitzという街は、オーストリア・ワインの名産地として知られている。もしかしたら頼んだワインはシュピッツ産のワインかもしれない。ドナウ河畔産白ワインはWunderbarで、飲み心地は当然だけどGutであることは言うまでもない。

僕たちが乗ったドナウ下りの遊覧船はクレムスが最終地。クレムスは以前1993年にも訪れている。だから何となく土地勘が残っていた。ドナウ下りの遊覧船を降りた後、僕たちはクレムスの中心部を抜け駅まで歩いていくことにした。途中にワイン博物館がある。別に急ぐわけじゃない。ちょっと立ち寄っていこうと考えた。ドナウ河畔のワイン博物館だからといって特別のものがあるわけじゃなかった。何より残念だったのはワインの試飲がなかったこと。僕はドナウの別のワインも飲んでみたかったのだ。

とりあえず駅に辿り着き無事ウィーン行き列車に乗れた。クレムス駅を出てしばらく走った頃だ。なぜか列車が途中駅で突然停止したまま動かなくなった。不吉な予感がした。すると車掌がやって来て何やらドイツ語で説明している。ドイツ語が分からない僕たちは、冷静に乗客みんなの様子を見て状況を推測するしかない。車掌の説明が終わったら乗客がゾロゾロと列車を降り出した。

ひょっとしたら、緊急のバス振替輸送になったのか…?たぶん間違いはないだろう。しかたがないので僕たちもみんなの後について列車を降りた。乗客はみんな駅前の広場に向かっているようだ。駅前にはバスが1台停車し、みんな黙ってバスに乗っていた。バスの緊急振替輸送は今回の旅でも2度目。ほぼ1週間前、僕たちはフランスのスイス国境に近い湖畔の街アヌシーでも同じ経験をしていた。

鉄道会社には鉄道会社のイロイロな事情があるのは分かっている。だけどやっぱりバスの緊急振替輸送は辛い。僕たちも文句を言わずに大人しくバスに乗り込んだ。ちょうど学校の下校時間とぶつかっていたらしく、バスの中は高校生のような若者でビッシリ満員だった。中には可愛い少女が数人いたので、僕としてはそれなりに楽しくなかったとは言わない。全くイイカゲンでテキトーな性格だ。どんな状況でも楽しまなきゃ旅などやってられない。

バスはウィーン近郊の田園を線路沿いに幾つかの駅に停車しながら走った。やがてバスはどこかの駅前で停車。そこからまた列車に乗り換える。実は列車に乗り換えた駅に世紀末の画家エゴン・シーレの博物館があっがのだ。それは駅舎の右側の2階。28歳の若さでこの世を去ったエゴン・シーレはその部屋で生まれたのだという。だけど僕たちは列車から眺めるだけ。別に先を急いでいたわけでもないのに、どうして列車を降りて見に行こうとしないのか…?後から考えると全く勿体ないことをしたと思わざるを得ない。

僕たちはフランツ・ヨーゼフ駅の1つ手前で列車を降り、地下鉄に乗り換えノイバウガッセで列車を降りた。実は安くて美味しい和食の店がこの辺りにあると、オーストリアのチロルに住む友人から聞いていたのだ。店名は「アカキコ」という妙な日本語風でウイーン市内に数店舗あるという。アカキコは多くの客で賑わっていた。とりあえず僕は味噌ラーメン、NNクンは何やらうどんらしいものを注文した。スープも麺も及第点。ちょっとは満足できた。

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by 1950-2012 | 2022-12-21 00:32 | ヨーロッパ 旅 紀行 | Comments(0)