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1990年から旅したヨーロッパのイロイロな街と20世紀末の下北沢を、写真と文章で紹介していきたいと思います。


by KaZoo

250「急な雨でレインコートを出したら、フィルムがどこかへ飛んでいった…!」フランス、カンペール 

200212月末から20031月初旬にかけ、フランス北西部ノルマンディーとブルターニュ周遊の旅に出た。パリ到着日はモンマルトルのホテルに1泊。翌2日目はサン・ラザール駅から列車でノルマンディーの中心都市ルーアンRouenに移動して2連泊。続けて4日目から3日間年末年始はカンCaenに3連泊して、旅の目的の1つであった第二次世界大戦の激戦地オマハ・ビーチを訪れた。そして一昨年のアイルランド、去年のスコットランドに続き、また1人で雑煮のない新年を外国で迎えることになる。

旅を始めて7日目の12日、ノルマンディーからブルターニュに移動。まずは中世の雰囲気を残す小さな街ディナンDinanに1泊。続けて13日からはブルターニュ屈指の古都でもあるヴァンヌVannesに3連泊する。ヴァンヌ連泊の目的は巨石が列のように連なるカルナックCarnacへ行くためでもあった。ケルト文化に興味があった僕は、ずうっと前から巨石遺跡が残るカルナックを訪れてみたいと願っていた。そして今回ついに念願だったカルナックへ向かう。

カルナックには鉄道が通じてない。だから最寄り駅オウレイAurayからバスかTAXIで行くことになる。僕はどっちかというとバスが苦手。面倒なことが多いし難解なフランス語も読まなきゃならないのでTAXIで行くことにした。カルナックの巨石が並んだ遺構は紀元前50003000年頃造られたらしいけど、精霊や巨人が建てたという説や、戦士の墓とか天文学上の装置など諸説あるらしい。僕はケルト文化の残るブルターニュにあるということで、勝手に巨石遺構がケルト人と関係があると思い込んでいた。

巨石遺構は1カ所だけでなく西から順にメネック巨石群、ケルマリオ巨石群、ケルレスカン巨石群と3つ並んでいる。とにかくその規模は広く、並んでいる石の大きさも数量も僕の想像をはるかに超えていた。ハッキリ言ってだだっ広いただの平原に巨石が延々と並んでいるだけなのだ。全く不思議。僕は興奮しまくって写真を何枚も撮り続けた。もうこれ以上の幸福はなかったと言っていい。僕は3つ並んでいる巨石群の内、メネック巨石群とケルマリオ巨石群2つだけ見て街の中心まで戻った。

これで第二次世界大戦の激戦地オマハ・ビーチに続く、今回の旅の最大のミッションが無事に完了した。巨石遺構に大満足。再びTAXIでオウレイ駅に戻る。さて、このまま滞在先のヴァンヌに戻ってもすることがない。もう少し列車に乗って別の街に行ってみようと考えた。そしてガイドブック『地球の歩き方』を見て選んだ街がカンペールQuimper。駅の時刻表を見ると今すぐにも特急列車TGVがやって来ることが分かった。

僕は鉄道乗り放題のユーレイル・パス を持っているけど、TGVに乗るためには面倒だけど事前に座席を予約しなけりゃならない。すぐに切符売り場で座席を予約。何とか時間には間に合いそうだ。プラットフォームで少々待つとTGVがやって来た。ここまでは順調に事が進んでいる。そしてTGVが停車。車掌に軽く挨拶して列車に乗り込む。予約した自分の座席を探すけど、いくら探しても座席がどこにあるか全く分からない。

困ったので一旦列車を降りてから、車掌のいる車両まで行こうと思った。プラットフォームに降り立ったその時だ。列車のドアが突然閉まった。僕はメチャクチャ慌てた。すぐにプラットフォームの向こうに立っている車掌に向かってと大声で叫んだ。車掌も僕を見て驚いたようで大きな声で「こっちへ来い」と叫んでいる。全く粗忽で迂闊で恥ずかしい。

僕は必死に走った。そして車掌のいる車両のドアから列車の中に飛び込んだ。車掌に座席の予約チケットを見せると親切に座席を教えてくれた。それにしても僕は何と突発的で無謀なことをしたのだろう。今となっては笑い話になるけどこの時はマジで慌てた。全く僕は時々訳の分からないことをしてしまう。それでも今までどうにかこうにか急場をしのぎながら旅を続けてきたのだから、きっと良くも悪くも強運の持ち主なのだと思う。

カンペールという街の名は合流地点を意味するブルトン語「Kemper」に相当するという。ブルターニュBretagneも、前ローマ時代にブリテン島に定住していたケルト系の土着民族「ブリトン人の地」を意味するラテン語から生じたという。英語だとブルターニュは「ブリタニーBrittany」で、グレート・ブリテンに対して「リトル・ブリテンLittle Britain」とも言うらしい。これはローマ時代以降に英国から移民があったことの名残裏なのだろう。

つまりブルターニュは英国文化の影響を強く受けている地域なのだ。全くフランスという国は地域多様性が感じられて面白い。ある文献の受け売りだけど、ユリウス・カエサルとかギリシャの歴史家の記述によれば、カンペールはケルト系ガリア人たちの都市であったそうだ。何が何やらよく分からないけど、とにかくユリウス・カエサルが記したということは、カンペールがフランスでもローマ時代から続く歴史ある街の1つだということになる。

これは帰国後に分かったことだけど、カンペールの姉妹都市は何とアイルランド西部の街リムリックLimerick。リムリックは小説『アンジェラの灰』の舞台となった街。200012月末から翌新年にかけてアイルランドを旅した時、僕は首都ダブリン到着翌々日にリムリックを訪れ3連泊している。リムリックで21世紀の幕開けを迎えたということもあり、カンペールと姉妹都市だったことを知って大いに嬉しくなってしまった。

僕は東京の下北沢に住んでいて、ある時に小田急線北口側にある雑貨屋でカンペール焼という小振りの丼みたいな陶器を見かけた。それはちょっとボテっとした肉厚の器でカラフルな図柄が描かれていた。僕はカンペール焼が気に入り、衝動的にカフェオレ用のグリーンとクリーム色の大き目なボウルを2つ買った。きっとそのこともあって急遽カンペールに行ってみたいと思ったのだと思う。

TGVがカンペール駅に到着。列車を降り地図を見ながら駅から旧市街へ向かう。川沿いの風景が絵に描きたいぐらいに雰囲気があって美しい。水辺の風景はどの国度の街でも僕の心を潤してくれる。まずは聖コランタン大聖堂から見ていく。ゴシック様式の大聖堂は13世紀から19世紀にかけて造られたという。クリスマスから数日経っていたけど、堂内にはキリスト生誕の馬小屋の情景を再現した人形が飾られていた。これはフランス語で「クレッシュ」と言い、イタリア語で「プレゼピオ」ドイツ語で「クリッペ」英語で「クリブ」と言うらしい。

大聖堂を出たら後は写真を撮りながら街をプラプラ歩く。すると妙な建物を発見。何と言おうか妙にひしゃげた家で、よくよく見ると梁が「あっちゃ向いてホイ」って感じで斜め反対方向を向いている。屋根も同様に傾いて微妙にズレている。だけど窓だけは辛うじて水平を保っている。フランスは地震がほとんどない国だからいいけど、もしもこんなひしゃげた家が日本にあったら地震ですぐに倒壊してしまうだろう。バランスが崩れた危なっかしい家は、今までもフランスだけでなくヨーロッパ各地でたくさん見かけた。見た目は傾いでいるといっても、家の中は普通に生活ができるよう水平が保たれていたりするから問題はないだろう。

しばらくすると突然強い雨が降ってきた。真冬で雨に濡れるのは非常にマズい。旅先で風邪などひいたら最悪だ。すぐにカフェを見つけて入ることにした。カフェ店外のテントの下のテーブルでコーヒーを飲みながらしばらく雨宿り。何気なく見ていると雨脚が少しずつ小さくなっていく。落ち込んでいた気分が急に戻る。雨の向こうに移動遊園地が見えた。小雨の中でも楽しそうに観覧車がクルクル回っている。移動遊園地を見に行くのも面白そうだと思った。

しばらく待つと雨は気にならないぐらいの降りになった。そろそろカフェを出てもいい頃合いだ。せっかくだから移動遊園地をちょっと見てから駅に向かおうと考えた。小降りとはいえ雨には濡れたくないので、デイパックからナイロン製のレインコートを取り出す。今日は気温も低くないから、この程度の雨なら薄手のレインコート1枚でどうにかなる。レインコートを取り出す時に、なぜか僕は必要以上に力を入れた。実はこの粗暴さがいけなかったのだ。

まさに最悪な事態はこの瞬間に起こった。とはいえ当事者である僕自身そのことに全く気づいていない。何とデイパックからレインコートを取り出した瞬間、カルナックで巨石群を写した大切なフィルムが1本レインコートに引っかかってどこかに飛び出したのだ。以前から見たくて今回やっと訪れることができたカルナックの巨石群。気合いを入れて写した大事なフィルムが紛失した。だけど当の本人は全く気付いていない。

貴重なフィルムを紛失したことも知らず、ノーテンキに足取り軽く移動遊園地に向かった。フィルムが無くなったことに気づくのは数時間後。ヴァンヌのホテルに戻ってからだ。気づいた瞬間は頭が真っ白になった。こんなに口惜しいことはありゃしない。もう怒り心頭で体は震えっぱなし。だからって誰にも怒りをぶつけられない。何たって加害者も自分、被害者も自分なのだから。結局手元に残ったのは最初に何枚か巨石群を写したフィルム1本と、現地ツーリスト・インフォメーションで買った2枚の絵はがきだけ。しばらく僕は立ち直れなかった。

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by 1950-2012 | 2023-05-31 00:07 | ヨーロッパ 旅 紀行 | Comments(0)